テーマ:ベルサイユのばら フランス連 世界ふしぎ発見!ナポレオンの初恋
コルシカ出身で貧しさに耐えていたナポレオンが出会った女性デジレ。
どうやらナポレオンの兄とデジレの姉が恋人になり、出会うきっかけになったらしいですね。
戦地での手紙のやりとりは、熱烈な愛を語り合っている。
デジレはず~~~~~~っとナポレオンを思い続けていた。
というのに、純粋な女性からいつしか、ナポレオンは昇進するにつれ、洗練された大人の遊び慣れした
女性に目がいって、、、それが、薔薇のジョゼフィーヌ です。ナポレオンに捨てられた形のデジレは傷心していたけど、まるであてつけのようにナポレオンと張り合えるほどの将軍ベルナドットと結婚。
ただ彼女は、ナポレオンが別の女性 と結婚したことをかぜのたよりに聞いたときも、
うらむわけでもなく、ナポレオンの幸せを祈り、一応このときは、
「わたしは生涯結婚しない」とかいっていたらしいです。
ベルナドットとの間にできた息子の名付け親はナポレオンだった。ということもあり、、複雑。
その後も結構ナポレオンはデジレに負い目を感じていたらしい。
ひょっとすると、そのままデジレがナポレオンが皇帝になるまで交際が続いていたら
このいわくありげな戴冠式の絵にのっていたのは、、、
ジョセフィーヌではなく、、デジレかもしれない。
この絵のなぞ、ナポレオンが自ら愛するジョセフィーヌに王冠を授ける。
後ろにはデジレの夫ベルナドットが描かれている。実はデジレも式に参加していたらしい。
なぜ、自分は描かれていないのか?
デジレの心はいかばかりでしょう。
でもそれでも、デジレは最期まで、ナポレオンの手紙を宝物としていたんです。

ベルナドットとの結婚
その後、出会いは明らかではないが1798年、デジレはフランス陸軍 の将軍でナポレオンのライバルだったジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット と 結婚する。この結婚により、ベルナドットはクラリー家を通してボナパルト家の間接的な姻戚となった。この背景には、ナポレオンの兄弟たちが、有能で民衆の 人気もあったベルナドットをなんとか味方に引き入れようと、密かに二人が惹かれあうように演出したのではないかという説もあり、実際に翌1799年、ナポ レオンがブリュメールのクーデタ を起こして政権を奪取した際には、ベルナドットは中立の立場を取ってクーデタを静観している。ともあれ、二人は同じ1799年に1男オスカル を儲けている。
第1296回
ナポレオンの初恋
秘められた皇帝のラブレター
2013年11月16日(土) 夜9時
次回「世界ふしぎ発見!」の主人公はナポレオン。彗星のごとく現れ歴史にその名を刻んだ英雄には秘められた初恋があったというのです。睡眠は3時間 だったなど今でも数々の武勇伝が語られるナポレオンの若き日の恋とは?フランス、スウェーデン、ドイツを取材したミステリーハンターの野々すみ花さんにお 話を伺いました。
無敵と言われたナポレオンにも
純粋な青年時代があった!
日本の多くの方がナポレオンに持つイメージは、とにかく強く勇ましいものではないかと思います。ですから私も今回の取材のテーマが「初恋」と聞いた 時に、あのナポレオンと初恋の切なくいじらしいイメージが結びつきませんでした。でも取材をしていくと、あのナポレオンも純粋な気持ちで恋人を想い、会え ない日々の寂しさを素直に伝えるような恋をしていたのです。ナポレオンと聞くと、常人とは違う世界を生きた人と思われる方もいると思いますが、今回番組で はどんな方でも共感できるような彼の一面をご紹介しています。
その初恋の相手とはマルセイユで出会ったデジレ・クラリー。でも皆さまご存知の通りナポレオンが最初に結婚したのはジョゼフィーヌです。デジレは今まで一 途に自分を想ってくれた彼が突然別の女性と結婚しても恨みがましいことは言いませんでした。ですが取材で聞いたお話では、デジレの故郷マルセイユの女性 は、思っていることをはっきり言う芯の強い女性が多いことで知られているそうです。彼女もマルセイユの女性の気質を持っていたとしたら傷ついたと同時に相 当悔しかったのではと思いました。しかしお互いに別の相手と結婚した後も、ナポレオンとデジレ、二人の人生は宿命的と言いたくなるほど絡み合っていったの です。
遠距離恋愛ながらずっと初恋を貫いていたナポレオン
しかし電撃的に結婚したのは年上のジョゼフィーヌだった
デジレ・クラリー(
フランス語 :
Désirée Clary,
1777年 11月8日 -
1860年 12月17日 )、
スウェーデン語 名は
デジデリア・アヴ・スヴェーリエ(
Desideria av Sverige)は、
ベルナドッテ王朝 の始祖である
スウェーデン=ノルウェー 王
カール14世ヨハン の王后、
オスカル1世 の母、
ナポレオン・ボナパルト の元婚約者。「フランス皇后になり損ねたがスウェーデン王妃になった女性」、「ナポレオンの永遠の恋人」と言われている。
激動のフランス史に咲く一輪の薔薇、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの物語!!



ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(Josephine de Beauharnais,
1763年6月23日 -
1814年5月29日)は、
フランス皇后。
ナポレオン・ボナパルトの最初の妻。
フランス領西インド諸島マルティニーク島の生まれ。祖父の代から母国を離れたクレオールの出身。結婚前の正式名は、マリー・ジョゼフ・ローズ・タシェ・ド・ラ・パジュリ(Marie Josephe Rose Tascher de la Pagerie)だった。貴族の娘でエキゾチックな美貌の持ち主だったが、大変な浪費家でもあった。生家は貴族といっても名ばかりであり困窮していた。
1779年にアレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と結婚、一男ウジェーヌ、一女オルタンスをなしたが、当初から夫婦仲が悪く、1783年に離婚した。後にボアルネ子爵は、フランス革命中の1794年7月23日にギロチンで処刑されてしまう。離婚後、マルティニーク島の実家に戻っていたジョゼフィーヌも、島での暴動の多発に不安を感じてフランスに戻ったが、夫や友人の助命嘆願が罪に問われてカルム監獄に投獄されてしまう。獄中では、ルイ=ラザール・オッシュ将軍と恋人同士となったと伝わる。しかし、ロベスピエールが処刑されたことにより、8月3日に釈放された。
その後、生活のために総裁政府のポール・バラスの愛人となり、親友のテレーズ・カバリュス、ジュリエット・レカミエと 並ぶ社交界の花形となって、「陽気な未亡人」と呼ばれた。このころ、年下のナポレオンの求婚を受け1796年に結婚。バラスが彼女に飽きてナポレオンに押 しつけたともいう。この結婚について、ウジェーヌは反対、オルタンスは賛成だったと伝えられている。しかし、彼女はナポレオンを無骨でつまらない男と見て おり、次々と愛人を作り浮気を繰り返した。そうしたこともあって、ナポレオンの母や兄弟姉妹たちとの折り合いは悪かった。
イタリア遠征中 にナポレオンが彼女にあてた熱烈な恋文は有名だが、受け取った彼女はろくに読むことも返事を書くこともなく、「ボナパルトって変な人ね」とその手紙を友人 に見せて笑いをさそっていた。ナポレオンに戦場へ来るように何回も促されたが、ごまかして行こうとしない妻のそっけない態度にナポレオンは幾度も絶望を抱 く。それに気を揉んだ総裁政府の命令で、彼女は渋々イタリアへ向かった。

ナポレオンはエジプト遠征中にジョゼフィーヌと美男の騎兵大尉イッポリト・シャルルと の浮気を知り、その事を嘆く手紙をフランスに送ったが、手紙を載せたフランス艦がイギリスに拿捕され、手紙の内容が新聞に掲載されてしまう。大恥をかいた ナポレオンは離婚を決意し、妻が戻る前に家から荷物を叩き出してしまった。しかし、彼女の連れ子のウジェーヌとオルタンスの涙ながらの嘆願と、ジョゼ フィーヌへの愛から離婚は思い止まったのだが、この直後のブリュメールのクーデタを成功に導くための要人対策に広い人脈があったジョゼフィーヌも一役買っている。
ジョゼフィーヌは、初めの離婚騒動あたりから徐々にナポレオンを真摯に愛するようになっていくが、反対にナポレオンのジョゼフィーヌに対する熱烈な愛情は冷めていき、他の女性達に関心を持つようになっていった。
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